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地域の医療を守る市立病院
大田市立病院
プロフィール
大田市立病院
島根県大田市は島根県の中西部にある都市で、日本海に面している。石見地方の東端に位置し、島根大学医学部のある出雲市に隣接する。隣接する出雲市とともに、島根県中部の拠点地域となっているが、2007年に「石見銀山遺跡とその文化的景観」が世界遺産に登録されたことで、多くの観光客を集めている。大田市には石見銀山のほかにも、四季を通じて楽しめる国立公園三瓶山、温泉津温泉、鳴り砂で有名な琴ヶ浜など、歴史や自然を楽しめる場所が豊富にある。
大田市立病院は1951年に国立大田療養所として開設され、国立大田病院として発展してきたが、1996年頃から大田市への移譲が検討されるようになり、1999年に大田市立病院として新たに開院した。「和と誠意と奉仕」の理念のもと、島根県中央部の中核病院として、医療機能を充実整備し、地域に良質な医療を提供する基本方針で診療している。2011年に
大田市立病院内に島根大学医学部大田総合医育成センターを設置し、「大田ブランド」の総合医の育成を始め、大きな話題となった。
今回は楫野恭久院長にお話を伺った。
楫野恭久 院長プロフィール
1949年生まれ。鳥取大学を卒業後、鳥取大学医学部附属病院で2年間のローテート研修を行う。当時は1968年の学生運動の影響で、医師国家試験のボイコットなどもあり、ストレートに入局できるのは外科だけだった。その後、神戸市のパルモア病院に入職し、三宅廉院長のもとで新生児・小児科医として3年、勤務する。島根医科大学の創設とともに、島根医科大学に移る。国立循環器病研究センター病院に2年間、小児心臓外科医師として勤務する。島根医科大学小児科に入局し、小倉記念病院に7年間、勤務する。1992年に益田赤十字病院に勤務する。2009年秋に大田市立病院に副院長として着任、2010年4月に院長に就任する。
専門は小児科。日本小児科学会専門医、日本小児循環器学会暫定指導医、日本未熟児新生児学会若年者心疾患・生活習慣病対策協議会にも所属する。島根大学医学部臨床教授、日本体育協会スポーツドクターなど。
病院の沿革
1951年に病床数100床の国立大田療養所が創設されたのが大田市立病院の前身である。1955年には病床数が倍増し、200床となった。一方、1955年に大田市立病院も開院する。伝染病棟20床を含む92床の病床数があったという。そこで、1959年に国立大田療養所は大田市立病院を併合し、292床の病院となった。
しかし、1985年に国立病院、国立療養所の再編成や合理化の基本指針が閣議決定され、1986年には国立大田病院が移譲対象施設にリストアップされる。そこで、大田市が移譲を受ける方向で進むと表明し、大田市立病院として運営することになった。
そして、1999年に大田市立病院が開院する。島根県中央部の中核病院にふさわしくあるべく、既存棟の改修工事、増築棟の建設工事も始まった。
2000年には療養型病棟が開設され、透析センターも新設されて、血液透析が始まった。新館の手術室も稼働し始め、内視鏡センターの使用も開始された。脳神経外科、整形外科の新しい診察室も完成する。
2004年に介護病床19床を27床に変更した。これにより、介護病床27床を含む療養型病床55床、一般病床280床、感染症病床4床の339床という構成になる。
2004年は臨床研修制度が始まった年で、全国の病院が医師不足に陥ったが、大田市立病院も例外ではなかった。外科、整形外科の医師が不在となり、二次救急医療体制の制限をせざるを得なくなった。しかし、大田市医師会、周辺圏域の医療機関のほか、島根大学医学部の協力で、この危機的状況を乗り越え、地域住民の健康を守るべく、可能な範囲で二次救急医療も続けている。
2012年3月末に救急病院の指定を再取得し、4月には病院の隣接地に整備された救急医療用ヘリコプター(ドクターヘリ)のヘリポートを活用することで、より迅速な患者対応が可能となった。
また、島根大学医学部総合医療学講座、大田総合医育成センターの開設、訪問看護事業の実施、新病院建設の検討も開始されるなど、地域医療を支えていくための新たな動きが始まっている。
「2010年度初頭、外科、整形外科の常勤医師が不在となりましたが、地域や大学の協力もあり、2012年4月からは外科2名体制となり、できる範囲で二次救急を守っています。現在の病床数は一般280床、療養55床、感染4床の339床となっています。」